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専修大学 社会知性研究会

「社会知性の開発」(専大HP参照)を目標に、週1回、ディベートまたはディスカッションを行うサークルです。

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議題:「就活について」

「就活について」ディスカッションを行いました。いろいろな意見が出たのですが、参加者に就活生が一人もいない上に、ほとんどが新入生という状況で議論したせいで、なんか締まりの悪いディスカッションになってしまいました(笑) この議題はミスチョイスでしたね(^-^;

①まずは簡単に結論
最近の就活生は、企業の「求める人材」に従属し過ぎている。就活には、企業が学生を選ぶという側面があるのはもちろんだけど、学生が企業を選ぶという側面もあるを忘れてはならない。

②では、何故、学生が企業の「求める人材」に従属してしまうのか。
(1)まず、考えられるのは、雇用主と被雇用者の実質的な力関係に差があることが考えられる。労働法を整備しても、被雇用者の生活は収入に依存するから、依然として雇用主の方が力関係は上であるといえる。しかも雇用主は通常は企業を経営できる程のノウハウを持っているから、能力においても差がある。
このような力関係の差が「従属感」を生じさせている。

(2)次に、考えられるのは、学生の「働くこと」に対する意識の低さ、及び、それを助長させる制度である。
「なんとなく、皆が就活してるから、俺もやる」という感じで就活を始める人が多い。しかも、彼らは収入を得る方法は労働だけではないのに、それを見落としている。その原因は、学生自身の意識の低さ、未熟さにあり、新卒優遇制度がそれを助長している。

③まとめ
就活は 制度的な問題点も指摘できるけど、やっぱり、学生自身にも問題がある。もっとアンテナを立てて、広い視野を持ち、「自分がやりたいことは何なのか」考えた上で就活をするべき。企業に選ばれるのではなく、自分が企業を選ぶという姿勢で就活をすべき。
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今回の成績評価基準変更について

「今回の成績評価基準変更について」議論しました。
単位の取得に関心のある方は とっくにご存じかと思いますが(笑)、まず、念のため変更の具体的内容について説明します。

我が専修大学では、今年度から成績評価基準が変更されました。その内容としては、①単位認定の基準点が50点から60点に引き上げられた。②成績の付け方が4段階から7段階に変更され、細分化された。③この制度は全学年を対象とする。
といったところです。

まぁ、僕たち学生としては単位が取りづらくなり、あまり良い気分はしませんが、学生としての視点からだけではなく、もっと広い視点からこの制度について議論しました。

①まず、この成績評価基準変更の背景は何か?
文部科学省からの要請があったことが考えられる。そして、それに応じなければ、文部科学省から大学に補助金が出なくなる可能性があったのではないか。

②そうだとすると、なぜ、文部科学省はこのような要請をしたのか?
(1)他の多くの大学では、既に単位認定の基準点が60点になっており、就職活動等において、公平性、利便性の観点から全ての大学に共通する評価基準が求められる。
(2)「研究」の土台として、「勉強」が必要であるにも関わらず、勉強しない学生が多すぎるので、文科省がそんな学生達に発破をかけた。(勉強と研究は学問に向き合っている点は共通しますが、前者は既知の領域にとどまり、後者は既知の領域の外に向かっています。研究の方が社会貢献に繋がりやすいと言えます。)
という2点が考えられます。

③この成績評価基準変更は悪い改革か?
①、②で論じたことを前提とすると、そもそも就職活動において学校の成績は指標となりうるのか? という突っ込みどころはありますが、文科省の目的は正当であるような気がします。

しかし、次の三点を指摘できます。(1)全学年を対象にする必要はなかったはず。新入生のみを対象にすれば十分だったはず。(2)学生に対して今回の変更について事前告知が無く、不意討ちのような形になってしまっている。(3)学生の関心を「研究」に向けさせたいなら、成績評価基準を厳しくするよりも、意識改革をすべき。その方が直接的な効果が期待できる。
よって、文科省は成績評価基準の引き上げの前にすべきことがあるし、また引き上げるとしても、今回のやり方には問題があった。
という結論に至りました。少なくとも、今回の変更は良い改革とは言えないでしょう。

「自由」とは何か?

先日の卒業生送迎会で少しだけディスカッションっぽいことをやったので、その内容をまとめておこうと思います
( ´∀`)/~~

テーマは「自由」とは何か? です。
最近、「自由を尊重しようぜ!」とか、「俺たちに自由をくれ!」とか言ってる人達がいるけど、そもそも「自由」って何なんでしょうか?

以下、意見をまとめてみたいと思います。動物と人間を対比させる感じで議論が進んでいきます。

☆A さん
「自由」とは、何にも支配されていない状態をいう。
人であろうが、動物であろうが、何かに支配されているから、本来の意味における自由はあり得ない。
例えば、「酒を飲む」という行為は、一見、自らの選択によって、行った行為に見えるけど、実は「酔って良い気分になりたい」という欲求に支配されていることによって選択した行為だから、自由な行為とは呼べない。

☆Bさん
むしろ、支配の中にこそ「自由」があるはず。動物は本能に完成に支配されている存在だけど、人は何かによって完全には支配されず、その限りにおいて「自由」だ。
すなわち、「自由」とは、一定の支配の中で自ら選択できることをいう。

☆Cさん
自由とは「思考できること」をいう。
人は自らに義務を課すことによって、支配に抗うことができる。例えば、お腹が空いても、性欲でムラムラしても自らに義務を課すことで我慢することができる。
では、何故、人は自らに義務を課すことができるか? それは人が「自由」を有しているからだ。すなわち人が「思考できる」存在だからだ。

以上、3つの意見が出ました。何だか読みにくい上に、分かりにくい文章になってしまいましたm(__)m
酔っぱらっていて、深く議論できませんでしたが、まぁ、こんな感じです。
どれが正しいんでしょうね?

追記
しんぺいさんのコメントを基にCさんの意見を修正しました。

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こんにちは!ディベート・ディスカッションサークル社会知性研究会です。「社会知性の開発」(専修大学HP参照)を目指して、週に一度、7限終了後、討論を行っています。
少しでも興味のある方は、サークル代表までお気軽にメールをどうぞ。
sy8ken@gmail.com

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