★賛成派 立論
A・テロ行為をした者には重い罰が下る。つまり死刑を間逃れられない。だったら半殺しにしてでも、罪のない犠牲者になるうる市民を優先して助けるべき。また、平和を維持する為に致し方がない行為だ。よって正当化される。
B・前提として1人の命よりも100人の命を優先すべき。まず、尋問をして、もう一歩で情報を吐きそうだが、時間が迫っている場合に限り認めるべき。つまりは、限定的容認。
C・切迫した状況でなくても、テロリストには重い罰を与えるべき。拷問をして、見せしめにすることが抑止に繋がる。
★反対派 立論
D・得た情報が役に立つかどうかはわからない。不確定であるのに、身体的苦痛を与える拷問が許されるはずがない。
E・そもそもテロリストが自分の身を顧りみるとは思えない。そして、拷問する行為は国際法で禁止されており、強行規定であるため、いかなる理由があろうとも拷問してはならい。というか出来ない。
D・主観的判断はきけんである。仮に拷問をしたとしても、やり返しされる可能性があり、負の連鎖が続くだけ。
★賛成派 反駁&最終弁論
正義か否かについて議論したとしても、結局は、殺人は悪である。また、価値観が違うからって、主観判断をしてはいけないとは言いきれない。なぜなら、今後のグローバル社会では、異国民同士の価値観のぶつかり合いは避けられないからである。価値観が違う中で答えを見つけていくべきであっる。
★反対派 反駁&最終弁論
拷問するという個人的主観によって、裁くべきではない。社会秩序の中で、法に基づいて裁くべき。歴史を振り返ると拷問は禁止されていなかった。しかし、人の知恵の積み重ねによって拷問はしていないと法という根拠で明記されている。発想を変えて、拷問せずとも平和を作っていくべき。
以上。両者引き分け。
まとめ
国際社会において脅威的であるテロ行為。たしかに一般的視点で言えば、許しがたい無差別殺人行為だ。その殺人集団に人権などいらない。拷問でもしてしまえ。大体の人はこう思うだろう。しかし、それはテロ行為をする人達の思想や人権を無視している。これでは、互いの価値観のぶつかり合いを武力という手段に頼って主張し合っているだけなので、解決へ進むことはない。やられたらやり返すということが連鎖するだけだからだ。だが、中東と利害関係の薄い日本は空爆を行う米国とイスラーム圏について、比較的中立公平な立場だから、バイアスがかかりにくいといえるので、客観的に真理を見出せる数少ない国かもしれない。そこで、互いの主張を感じ取り、公平に判断を下すことが重要である。
正義という概念がある以上悪も同時に存在する事を忘れてはならない。自分の主観で正義を貫くことは、他者から見たら悪の道を辿っているようになっていることを忘れてはならない。
感情的になって拷問してはならない。
つまりは、正義の押し付けも拷問も空爆も戦争もしてはならないのだ。
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