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専修大学 社会知性研究会

「社会知性の開発」(専大HP参照)を目標に、週1回、ディベートまたはディスカッションを行うサークルです。

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活動報告⑩2040年の日本を考える ~『里山資本主義』をモデルにして~ Fチーム発表

社会知性研究会 F班


2014年5月8日に日本創成会議は2040年に若年女性(20~39歳)が50%以上減少する市町村が2010年に比べ、896(全体の49.8%)に上るという試算結果を発表した。(2010年と比べ2040年に若年女性が半減する可能性のある自治体を消滅可能性都市といいます。)このうち人口が1万人を切るのは523市町村である。人口が1万人を切れば一気に人口が減っていき行政が機能しなくなる。これは国立社会保障・人口問題研究所が2013年3月にまとめた人口推計データを基にした試算結果である。そして青森、岩手、秋田、山形、島根の5つの県は自治体の8割以上が消滅可能性都市になる。この主な原因は東京一極集中による地方からの流出である。地方から雇用を求めて東京に行くのである。つまり日本は田舎を犠牲にして都市を繁栄させる構図にしているのである。
そこで私たちが提案するのは藻谷浩介著の『里山資本主義』をモデルにした地域経済の自立化である。里山資本主義とは地域内で水と食料と燃料が手に入り続ける仕組みをつくり、そして地域で完結できるものは完結するシステムを構築する。そうすることにより、地域を大都市圏への供給地となるのではなく、地域に利益が還元される形で物づくりを行い、さらにコミュニティを復活させるのである。
例えば、岡山県真庭市の取り組みはそうである。真庭市は中国山地の山間にあり、面積の8割を山林が占める町である。その山間にある銘建工業という製材所は西日本でも最大規模を誇る製材業者の1つである。銘建工業では製材の過程から出る木くずを利用した木質バイオマス発電と呼ばれる発電施設がある。この木質バイオマス発電のおかげで、使用する電気のほぼ100パーセントをまかなっている。つまり電力会社からは電気を買っていない。のみならず、売電による収入もある。これらを含めると年間4億円のプラスが出る。さらに、ペレットという木くずを加工したものがあり、専用のボイラーが必要だが、灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量を得ることができる。これが行政の後押しもあり、地元の小学校や役場などに導入されている。ただし、これは脱原発を実現するために自然エネルギーに切り替えようということではなく、会社はもちろん、地域にどのくらいの経済的な恩恵があるかが重要なのである。エネルギーを中東のような産油国から買うのではなく、真庭市の取り組みのように地域内にある山の木を使ってエネルギーの地産池消である。そうすることにより、経済的に循環が起きて、地域で雇用も生まれるようになる。同じような取り組みが岡山県庄原市でもある。こちらも安い裏山を買い取って、木を燃料にする。それをエコストーブと呼ばれる暖房だけでなく、調理にも使える代物である。
他にも、島根県邑南町で行われている、耕作放棄地を使って農業をしながら、そこで採れた野菜を自分で調理して客に出す。耕作放棄地なので、ただで使えるのである。そしてこの店に来る客は年間1万7000人ほどである。ここで働いている人たちはベテラン農家に教えられながらではあるが、素人である。
里山資本主義の実践を通して人との絆や郷土愛といったものが芽生えてくる。これからの価値観はオールドノーマルと言われる成長を是とする価値観ではなく、リーマンショック後から出てきたニューノーマル消費である。定義は定まっていないが、ブランド品や高級品を求めるのではなく、つながり消費(家族や地域、社会とのつながりを確認できるもの)を求めている。お金で買えるものはお金で買って、お金で買えないものも大事にする。それは人間関係や自然といったものを大事にしていくのが、これからの大都市に対する里山の生き方であると思う。
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活動報告⑨知と認識−同性愛者− Cチーム発表

専修大学社会知性研究会報告会(11.06.2014)
報告者:Y氏

知と認識−同性愛者−

1)導入
 「同性愛者」(Homosexuality ; Homosexualité)は近代が発明した言葉ではない1。それはいつの時代・いつの地域にも存在してきた。しかしそれは、往々にして忌み嫌われ、「自然の原理に逆らう」などというむしろ超自然主義的な発想を自然主義に置き換えて論じられもする。
 では果たして彼らは「自然の原理」を破っているのだろうか?果たして異性愛こそが「正しい」愛なのだろうか?思うにそこには答えは無いであろう。しかし答えが無いが故にそれは禁じ得るものでは無いのではなかろうか。
 

『同性愛者』とは…
「同性者」を性的対象とすること。またその関係2。
 ※以前「同性」を愛し、「同性」に性欲を感じる異常性欲の一つ、との定義


1、Michel Foucault(1926-1984) へのオマージュとして反意的に使用。原文« une chose est certaine, c’est que l’Homme n’est pas le plus vieux problème ni le plus constant qui se soit posé au savoir humain. L’Homme est une invention récente, ce n’est pas autour de lui et de ses secrets que l’on tend obscurément le savoir à rôder »Les mots et les choses

出典:広辞苑第4版 岩波書店(1991)

3、
オーストリア生まれのKarl-Maria Benkert氏の男性間の性行為を処罰する刑法(の条文)の廃止を求めて作られたパンフレットから使われ始めた。Box Tutle bulletinホームページよ


4、Michel Foucaultはこの1869年の出来事から、初めて「同性愛」というカテゴリーが生まれたとした。







2)歴史(古代−近代)
« ヨーロッパ »
 「ホモセクシュアリティ」すなわち「同性愛者」という語は、1869年にハンガリーの学者3によって造られた4。確かに言葉の起源(フーコーによればカテゴリーの起源)は、19世紀後半ではあるが、「同性間」の愛情表現あるいは性行為は人類の歴史と同じくらい古い。例えば、古代ギリシアでは神話上の神々が同性愛を楽しみ、あるいは「同性間」での「ねたみ」により人をも殺している。当時の人々は、神々を人間のイメージとして描き出し、その神々の行動を人間の欲望や欲情の鏡として認識していた(Aldrich [2006 ; p.29])。つまりは人間そのものが「同性間」における「愛」を望むことがあったということである。またHuppertsは古代アテネにおいては、男性が女性を愛する様に男性(特に少年)を愛す者とみなされており、それらは「エロス」の二つの形でしかなかった(Aldrich [2006 ; p.33])という。



 
 さて、古代から「同性愛」の起源はあったが、中世においてその認識は変化する。「生殖活動」としてか、「そうでない」かの違いでしかなかった「同性愛」が、13世紀には宗教裁判所により処罰の対象とされていた。その背景は、旧約聖書・新約聖書の普及(特に新約聖書)が大きな貢献をしていると言えるだろう。つまり、旧約聖書において「同性愛」について書かれている最もポピュラーな箇所として『創世記』のソドムとゴモラの逸話が、キリスト教の普及と重なって「禁止されたもの」という強い認識・影響を及ぼしたとされている5。
 さらには6世紀から10世紀においては「悔悛総則書」というもので、具体的な罪が司教に示されていた。後に『グラティアヌス教令集』を経て教会法へと変化して行く。
 このように「同性愛」は当時の宗教観とその普及の被害者となって行った。
 
 しかし、宗教的・哲学的な出発に始まった「同性愛嫌悪(Homophobie)」は自然科学の発達による対象への科学的なアプローチと、18世紀以降の病理モデルの発展がそれまでの嫌悪感とは異なる性格を生み出した。つまり「同性愛」とは「病気」となったのだ6。

« 日本 »
 日本はあらゆる面で中国7の影響を受けている。「同性愛」においても、中国文化の伝来8が日本に「同性愛」の正当性をもたらした(とされている)。によれば僧侶達は女性との肉体的接触は禁じられていたが、寺の中で奉仕する若い「稚児」とは肉体的関係を持っていたという。さらに、その「稚児」が美しければ菩薩の化身とさえされ、それとの交わりは崇高なものへとなった。
 このような男色は、「禅」の精神にも繋がって行った。この男集団の固い絆と厳しい規律を重んじる「禅」の精神が仏教とつながり、その後の「武士階級」にも受け継がれて行くこととなった。

 しかし鎖国を迎えた日本においては西洋文化の受け入れを余儀なくされ、同時に西洋において「ソドミー」とみなされていた「同性愛」は罪されることとなる9。その後の日本においては、「同性愛」への軽蔑的思想が確立されて行くこととなる。


5、『創世記』において、ソドムとゴモラの逸話19章1−29節の中で描かれている。

6、
ただし、それまでの教会法の様に「同性愛」を犯罪とはみなさず、合法化したのもこの時期において(Robert Aldrich 2006 ;pp.103−123])。

7、
中国においていは『道教』と『儒教』の関係。前者は「陰」と「陽」の交換が専ら「同性間」では「陽」の交換でしか無く、「同性愛」が独立して考えられることは無かった。一方後者は、社会的ヒエラルキーによる女性の社会的排斥が男同士の結びつきを強く容易なものにしていった。Adrianによれば、日本においては『道教』の二つの関係が互いに結びつき発展する性についての考え方が、『儒教』の男性中心的な社会秩序が持ち込まれたことになる。

8、
Adrianによれば、真言宗の開祖、空海によって「同性愛」の正当性は持ち込まれたとされている。ただし逸話でしか無く、さらにはそれ以前の日本にも、やはり「同性愛」は存在していたであろう(Aldrich2006;p.303
])。

9、
1873年『鶏姦罪の規定による肛門性交の禁止』





3)現代の状況
 古代から近代にかけて、「同性間」の関係は宗教上の理由から「罪」とされ、市民革命を経て個人主義的な価値観が「合法」の時代を生むことになった。しかし、その合法化を誰もが歓迎した訳ではなく10、むしろ多くの者に「同性嫌悪」が根ざして行ったことは現代が抱える事実である。
 
事実、2013年2月にフランスでは「同性婚」が認められたが、それに伴う反対デモはフランス全土で展開された。
同様の「同性婚」に対するデモは世界中で起きている。

 そしてそのような「同性愛嫌悪」的対応は、国家権力を利用した違法な処罰にも見て取れる(資料1、2)。

 同時に「同性愛者」の権利拡大に向けて法的な取り組みも見受けられるのが現代の特徴である(資料3、4)。


※では日本はどうか?
 2013年日本で初めての「同性結婚挙式」が東京ディズニーランドで行われた。法律で認められていない関係とはいえ、この当事者の行動は社会的インパクをもたらすとともに、日本における『シビル・ユニオン』の可能性を示したと言えるのではなかろうか。

 


10、アンゼム・フォイエルバッハによれば(1775-1883)「…ソドミー…による婚外性交は道徳の戒律に対する重大な違反だが、罪としては国内法の範疇には無い」としたが、それに対する反論として、「権利侵害ではないが、直接的・間接的にそうした侵害を引き起こす」という者もいた(引用:Isabel V Hull, Sexualty, State, and Civil Society in Germany, 1700-1815 [p. 357](Ithaca, NY 1996))







 






以上、ご清聴ありがとうございました。
<参考文献>

伊藤悟著 2000年『同性愛がわかる本』明石書店
齊藤日出夫 1999年『セクシャル・マイノリティのアイデンティティ・ポリティクスについて』
                       慶応義塾大学大学院社会学研究課:修士論文
タムシン・スパーゴ 2004年『フーコーとクイア理論』岩波書店
新村出編 1991年『広辞苑第4版』岩波書店
ルイ=ジョルジュ・タン編 2013年『同性愛嫌悪<ホモフォビア>を知る辞典』明石書店
ロバート・オールドリッチ編 2009年『同性愛の歴史』東洋書林

<外国書文献>
Boswell John, Christianism, tolérance sociale et homosexualité, Paris, Gallimard, 1985
Eva Cantarella, Bisexuality in the Ancient World, New Heven trans. C.O.Guilleanain 1992
Félix Buffière, Eros adolescent. La prédérastie dans la Grèce antique, Paris, 1980
Isabel V Hull, Sexualty, State, and Civil Society in Germany, 1700-1815 , NY, Ithaca, 1996
Louis Petit de Bachaumont, Mémoires secrets pour servir à l'histoire de la République des lettres de France, London, 1783
Michel Foucault, Les Mots et les choses, Gallimard, 1990


<参考サイト>
Le Monde
http://www.lemonde.fr
BBC
http://www.bbc.com
Box Turtle Bulletin
http://www.boxturtlebulletin.com
ilga
http://ilga.org/ilga/en/index.html


<配布資料>
資料4 http://ilga.org/

活動報告⑦<特定秘密保護法>Aチーム発表

第一回プレゼン発表ではAチームが<特定蜜保護法>について発表しました。

形式としては、背景、知る権利、適用の際のハードルについての三点に分けて三人それぞ

れが一点ずつ発表しました。

1、背景

対外的脅威(韓国中国の領土問題、北朝鮮の核保有疑惑)がある限り常に平和は脅かされ続

けています。そこでリスクを最小限に抑えるためにも早急に安全保障会議により、戦略を

立てる必要があります。それには、より正確な機密情報が必要不可欠になります。したが

って、日本版NSCを機能させるためには機密情報を他国(おもにアメリカ)から得る必要が

あります。しかし従来の制度では国家の機密流出する危険性が高く、このような制度下で

は他国からの機密な情報提供は期待できませんでした。

そこで情報を得るためには、情報流出のリスクを減らす制度を構築する必要があります。

これこそ特定秘密保護法案が提起された背景です。

すなわち特定秘密保護法は日本版NSCを機能させるために考案された法案だといえます。

2、知る権利

なぜ知る権利を研究に盛り込んだのかは明白です。知る権利が法案により侵害されるとい

った議論が盛んに行われているからです。そこでそもそも知る権利はなんぞやと思い調べ

ました。私どもの調べから「国民が必要な政治などの情報公開、提供を国家に求めること

ができる権利」また「国民が政治に関しての情報を集める活動が国家権力によって邪魔さ

れない権利」といったことがわかりました。この記事では、知る権利をこのように定義付

けることを前提に話を進めていきたいと思います。

また知る権利とは、憲法21条に記される表現の自由から派生した概念に過ぎず特定の条文

は存在しません。つまり我々日本人が知恵を生かし生み出された貴重な権利であることは

間違いありません。

2001年に施行された情報公開法では、国民が政治に関する情報を知ろうとする権利を邪魔

してはいけないことを条文化したものです。これにより知る権利の存在意義は大きなもの

になりました。

しかし、あくまで国の政治に関わる情報を要求することができる権利であるため、昨今の

マスメディアが行っているような個人に対する無理やりな取材、おっかけなどの情報収集

はプライバシーの侵害ではないかとされています。だが国の政治に対してマスメディアが

国家に情報を要求し、それを国民に伝達することは知る権利であり、報道言論の自由で

す。

3、運用する際のハードル

この記事では3つほど紹介したいと思います。

(1)まず特定秘密の指定は何でもいいわけでなく、制限があるということです。

第一に国家の防衛事項です。自衛隊の機密情報等がこれに当たります。第二に外交に関す

る事項です。外国との交渉協力の方針などで、国民の生命保護に関する重要なものだけに

限定されます。第三に特定有害活動の防止に関する事項です。要はスパイ防止に関係する

ものです。第四にテロリズムの防止に関する事項です。以上の四つに該当するもので「国

家の安全保障に著しく支障を与えるもの」にのみ秘密指定が許されます。

以上が国家の安全を図るための一つ目のハードルです。

(2)次に公に情報が漏れないために秘密の取扱者に制限があることです。

行政職員と警察、特定業者の役員のみが秘密を取り扱えることになっています。もちろん

情報を漏らしたら罰則の対象になります。来た人にはレジュメとして罰則についての情報

を提供しましたが、その他の方はwww.kantei.go.jp/jp/pages/tokuteihimitu.html

このHPを参照にしてください。

(3)最後に適正さを図る仕組みとして、第三者が登場します。

おおざっぱに言ってしまうと、秘密指定するにあたって、第三者である専門家による会議

を経て判断を仰がなくてはならないということです。つまり秘密指定は政府の判断だけで

は行うことができないということです。

以上三点を説明しましたが、背景や知る権利と照らし合わせてどう感じましたか?

施行はまだなので、具体例を挙げることができずにわかりにくい部分があったかもしれま

せんが、、、

とにかく今の日本にとって必要か否かを各自がしっかり考えるべき問題です。個人的には

必ずとも悪い法案とは言えません。国家の安全強化を図るために必要だと思っています。

思ったことを簡単でいいのでコメントに記してくれるとありがたく感じます。よろしくお

願いします。

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