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専修大学 社会知性研究会

「社会知性の開発」(専大HP参照)を目標に、週1回、ディベートまたはディスカッションを行うサークルです。

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ディベート 在日外国人における参政権の是非

在日外国人おける参政権の是非

★定義
今回のディベートでは、選挙権と被選挙権の狭義での参政権とする。また主な論点は参政権は国籍に帰属するのか永住権に属するのかである


★是(参政権を認めるべき)立論
日本には約200万の在日外国人がいると政府発表であるが、そのうちの半数近くが永住権を取得している。人口でいえば鹿児島県の県民とほぼ同等である。それだけの人数がいるにも関わらず、未だ日本国籍取得者以外の参政権を認めていないということは、グローバル社会に対応しきれていないと解さずを得ない結果としてある。現にいち早く本問題を対応している国も存在し、その意味での先進国と比べると、日本は、約25年も議論が遅れている後進国である。これからのグローバル化に日本も追随するのであれば、視野を広げて物事を考える必要があるから参政権を幅広く認めてるべきであろう。また、認めることにより、自国民に対しても刺激があり選挙投票率も上がるかもしれない。それは選挙権者だけでなく、被選挙権者にもより高いレベルの政治活動が要求される為、政治家のレベルアップに繋がり、国全体の、はたまた、世界全体の利益になる。加えて、永住者でも税金を納めているため、納税の義務を果たしてるといえる。ならば、当然、選挙を受ける権利も付与されるべきだ。



★非(反対派)立論
国民国家として日本が存在している以上、国民の持つ所有権のひとつである選挙権も日本国籍を持つものに帰属すべきである。ここを明確にしないと、法の解釈がゆらぐため、法的コントロールが効かなくなる。また、在日外国人に参政権を認めたところで大きなメリットがない。



★まとめ
日本は、排他主義であるが為に、外国人を受け入れる姿勢が整っていない。確かに本来、参政権とは国家を前提とする為に、その効果は国家構成員である日本国籍を持つ者に帰属するのであってそれを持たない者は亨有しないものかもしれない。また排他的な国家であるため、グローバル後進国になるのは必須だろう。このような考えではまず、世界に通用しない。また、日本が今後、鎖国国家になろうが、グローバル国家になろうが、どのみち外国人を受け入れるか受け入れないかという問題にぶつかるはずだ。
だが、普通に考えると、グローバル社会に対応していく事を多くの人は目指すし、そうなる事が理想的だろう。であるならば、段階的にでも参政権を認めるべきである。しかし、いくら民主主義国家で、多少の政策における失敗は許されるとしても、国家レベルで参政権を認めるといった大胆な政策は失敗した時に国民に大きな不利益と政治の不安定さをもたらす。このように政策の小回りの効かなさを配慮して、地方レベルから段階的に認めていくことが重要と考える。

例えば、中学校の生徒会長選出の時に、在日外国人に投票権を認めないことが身の回りでありましたか?おそらくありません。それは学校法人という狭い範囲で行われる選挙権だからです。


国政における選挙にも大小がある為、いきなり総選挙にまで参政権を認めるのでなく、まずは地方レベルの選挙で在日外国人に対しても選挙権を付与し、段階的に認めていく方向に歩むべきではないだろうか。




★一言メモ
以上が賛成派と反対派をまとめたものです。最近の記事はディベートが終わった後の帰りの電車にケータイからソッコーで打ち込んでいる為に誤字脱字、意味不明な点が多々あると思いますが、後ほど徐々に修正していきたいと思います。
もし、記事を見ているみなさんもお気付きの点があればコメント欄にてご指摘ください。
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ディスカッション 派遣労働制度を禁止すべきか否か

★派遣労働とは
派遣元となる人材派遣会社にとうろくしている者を、派遣取引先となる事業へ派遣し、そこの担当者の指揮命令のもとで労働を提供する雇用形態のひとつ。


★背景
高度経済成長にストップがかかると共に終身雇用制度が崩壊し、各企業は、必要な時に必要な分だけ人材を確保するという経費削減の慣習が広まった。


★問題点
・格差が広がる→賃金が低い貧困層の多くは非正規雇用者である。また、就活に失敗し、やむを得なく派遣労働に準じた者はごく少数だが存在する。よって少数派を排除しかねる制度かもしれない。
・安定しない→社会保障が不十分な場合が多く、将来的に不安定である。また、仕事も常時あるとは限らない。
・契約更新→両者各々契約更新の拒否権を持つため、意思に反して、派遣切りされやすい。
・正社員をある程度確保していれば、後は派遣社員で補充できてしまうため、正規雇用増加に繋がらない。


★メリット
・資格等の能力を最大限活かせる
・複雑な人間関係になやみにくい
・正社員より責任を感じない
・時間を自由に使える。働きたい時に働き、休みたい時に休める。
・仕事が見つかりやすい。仕事を選べる。


★実態
正規雇用と非正規雇用の割合が年次ごとに、統計されています。
僕は、総務省の資料を参考にしました。
20年前と比べて、現在は、正規雇用約20%減少、非正規雇用約20%増加となっています。正規63.3% 非正規36.7%です。


★賛成派
・メリットがある。上述に記載。
・能力に合わせて選べるのだから、現代資本主義に即している。
・高望みしなければ、正規社員になれる。


★反対派
・問題点がある。上で述に記載。
・新自由主義の一環である規制緩和がもたらす小さな政府により大きな格差構造になる。
・賃金を平等にするか、社会保障を充実させて救済すべき。それか、廃止すべき。
・終身雇用を慣習でなく、制度化すべきだ。



★まとめ
メリットデメリットを総合して判断してみると、自由と平等が争点な気がします。つまり、どちらかを選択しなければならない。この二つの概念が本テーマでは相反し、対立したものとなっている。しかし、現代社会において生きていくためにはお金は必要であり、非正規雇用者の低い賃金だけでは不十分であるから、その面では、正規雇用者であることの方が好ましい。では具体的対策として、①賃金平等 ②社会全体で補っていく 以上二つが今回の議論で上がったと考えられる。
①だと平等と自由を求める非正規雇用者で溢れる。これでは、正規雇用希望者が減ると共に、正規雇用のメリットが薄れ、逆に不公平になる。しかし、格差を埋めるべく、派遣労働者の水準はあげるべきだろう。
②だと富の再配分するのは、おそらく税金からになるだろうが、その税金はどう徴収するのかが問題点だ。また、この制度を利用しようと企む悪者も増加するだろう。


現制度よりも、問題点が多くて、どちらもあまり良い対策とは言えないが、さらに議論を深めて、よりよい方法を探していきたいと思う。



個人的には、廃止してもいいと思う。なぜならば、非正規雇用はパート・アルバイトで十分であり、派遣はその延長上にあるから、フリーターという言葉に箔をつけただけのように思えてならないだ。これは単なる言葉のマジックでしかない。やや強引な物言いだが、派遣会社に回るマージンの無駄を省き、労働者に還元するためには、このような強引な措置もひとつの手であろう。しかし、特定派遣に関してはこの限りでない。

ディベート テロリストに対して拷問は正当化されるか否か

★賛成派 立論
A・テロ行為をした者には重い罰が下る。つまり死刑を間逃れられない。だったら半殺しにしてでも、罪のない犠牲者になるうる市民を優先して助けるべき。また、平和を維持する為に致し方がない行為だ。よって正当化される。

B・前提として1人の命よりも100人の命を優先すべき。まず、尋問をして、もう一歩で情報を吐きそうだが、時間が迫っている場合に限り認めるべき。つまりは、限定的容認。

C・切迫した状況でなくても、テロリストには重い罰を与えるべき。拷問をして、見せしめにすることが抑止に繋がる。


★反対派 立論
D・得た情報が役に立つかどうかはわからない。不確定であるのに、身体的苦痛を与える拷問が許されるはずがない。
E・そもそもテロリストが自分の身を顧りみるとは思えない。そして、拷問する行為は国際法で禁止されており、強行規定であるため、いかなる理由があろうとも拷問してはならい。というか出来ない。
D・主観的判断はきけんである。仮に拷問をしたとしても、やり返しされる可能性があり、負の連鎖が続くだけ。


★賛成派 反駁&最終弁論
正義か否かについて議論したとしても、結局は、殺人は悪である。また、価値観が違うからって、主観判断をしてはいけないとは言いきれない。なぜなら、今後のグローバル社会では、異国民同士の価値観のぶつかり合いは避けられないからである。価値観が違う中で答えを見つけていくべきであっる。


★反対派 反駁&最終弁論
拷問するという個人的主観によって、裁くべきではない。社会秩序の中で、法に基づいて裁くべき。歴史を振り返ると拷問は禁止されていなかった。しかし、人の知恵の積み重ねによって拷問はしていないと法という根拠で明記されている。発想を変えて、拷問せずとも平和を作っていくべき。




以上。両者引き分け。



まとめ
国際社会において脅威的であるテロ行為。たしかに一般的視点で言えば、許しがたい無差別殺人行為だ。その殺人集団に人権などいらない。拷問でもしてしまえ。大体の人はこう思うだろう。しかし、それはテロ行為をする人達の思想や人権を無視している。これでは、互いの価値観のぶつかり合いを武力という手段に頼って主張し合っているだけなので、解決へ進むことはない。やられたらやり返すということが連鎖するだけだからだ。だが、中東と利害関係の薄い日本は空爆を行う米国とイスラーム圏について、比較的中立公平な立場だから、バイアスがかかりにくいといえるので、客観的に真理を見出せる数少ない国かもしれない。そこで、互いの主張を感じ取り、公平に判断を下すことが重要である。
正義という概念がある以上悪も同時に存在する事を忘れてはならない。自分の主観で正義を貫くことは、他者から見たら悪の道を辿っているようになっていることを忘れてはならない。
感情的になって拷問してはならない。
つまりは、正義の押し付けも拷問も空爆も戦争もしてはならないのだ。

活動報告⑩2040年の日本を考える ~『里山資本主義』をモデルにして~ Fチーム発表

社会知性研究会 F班


2014年5月8日に日本創成会議は2040年に若年女性(20~39歳)が50%以上減少する市町村が2010年に比べ、896(全体の49.8%)に上るという試算結果を発表した。(2010年と比べ2040年に若年女性が半減する可能性のある自治体を消滅可能性都市といいます。)このうち人口が1万人を切るのは523市町村である。人口が1万人を切れば一気に人口が減っていき行政が機能しなくなる。これは国立社会保障・人口問題研究所が2013年3月にまとめた人口推計データを基にした試算結果である。そして青森、岩手、秋田、山形、島根の5つの県は自治体の8割以上が消滅可能性都市になる。この主な原因は東京一極集中による地方からの流出である。地方から雇用を求めて東京に行くのである。つまり日本は田舎を犠牲にして都市を繁栄させる構図にしているのである。
そこで私たちが提案するのは藻谷浩介著の『里山資本主義』をモデルにした地域経済の自立化である。里山資本主義とは地域内で水と食料と燃料が手に入り続ける仕組みをつくり、そして地域で完結できるものは完結するシステムを構築する。そうすることにより、地域を大都市圏への供給地となるのではなく、地域に利益が還元される形で物づくりを行い、さらにコミュニティを復活させるのである。
例えば、岡山県真庭市の取り組みはそうである。真庭市は中国山地の山間にあり、面積の8割を山林が占める町である。その山間にある銘建工業という製材所は西日本でも最大規模を誇る製材業者の1つである。銘建工業では製材の過程から出る木くずを利用した木質バイオマス発電と呼ばれる発電施設がある。この木質バイオマス発電のおかげで、使用する電気のほぼ100パーセントをまかなっている。つまり電力会社からは電気を買っていない。のみならず、売電による収入もある。これらを含めると年間4億円のプラスが出る。さらに、ペレットという木くずを加工したものがあり、専用のボイラーが必要だが、灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量を得ることができる。これが行政の後押しもあり、地元の小学校や役場などに導入されている。ただし、これは脱原発を実現するために自然エネルギーに切り替えようということではなく、会社はもちろん、地域にどのくらいの経済的な恩恵があるかが重要なのである。エネルギーを中東のような産油国から買うのではなく、真庭市の取り組みのように地域内にある山の木を使ってエネルギーの地産池消である。そうすることにより、経済的に循環が起きて、地域で雇用も生まれるようになる。同じような取り組みが岡山県庄原市でもある。こちらも安い裏山を買い取って、木を燃料にする。それをエコストーブと呼ばれる暖房だけでなく、調理にも使える代物である。
他にも、島根県邑南町で行われている、耕作放棄地を使って農業をしながら、そこで採れた野菜を自分で調理して客に出す。耕作放棄地なので、ただで使えるのである。そしてこの店に来る客は年間1万7000人ほどである。ここで働いている人たちはベテラン農家に教えられながらではあるが、素人である。
里山資本主義の実践を通して人との絆や郷土愛といったものが芽生えてくる。これからの価値観はオールドノーマルと言われる成長を是とする価値観ではなく、リーマンショック後から出てきたニューノーマル消費である。定義は定まっていないが、ブランド品や高級品を求めるのではなく、つながり消費(家族や地域、社会とのつながりを確認できるもの)を求めている。お金で買えるものはお金で買って、お金で買えないものも大事にする。それは人間関係や自然といったものを大事にしていくのが、これからの大都市に対する里山の生き方であると思う。

活動報告⑨知と認識−同性愛者− Cチーム発表

専修大学社会知性研究会報告会(11.06.2014)
報告者:Y氏

知と認識−同性愛者−

1)導入
 「同性愛者」(Homosexuality ; Homosexualité)は近代が発明した言葉ではない1。それはいつの時代・いつの地域にも存在してきた。しかしそれは、往々にして忌み嫌われ、「自然の原理に逆らう」などというむしろ超自然主義的な発想を自然主義に置き換えて論じられもする。
 では果たして彼らは「自然の原理」を破っているのだろうか?果たして異性愛こそが「正しい」愛なのだろうか?思うにそこには答えは無いであろう。しかし答えが無いが故にそれは禁じ得るものでは無いのではなかろうか。
 

『同性愛者』とは…
「同性者」を性的対象とすること。またその関係2。
 ※以前「同性」を愛し、「同性」に性欲を感じる異常性欲の一つ、との定義


1、Michel Foucault(1926-1984) へのオマージュとして反意的に使用。原文« une chose est certaine, c’est que l’Homme n’est pas le plus vieux problème ni le plus constant qui se soit posé au savoir humain. L’Homme est une invention récente, ce n’est pas autour de lui et de ses secrets que l’on tend obscurément le savoir à rôder »Les mots et les choses

出典:広辞苑第4版 岩波書店(1991)

3、
オーストリア生まれのKarl-Maria Benkert氏の男性間の性行為を処罰する刑法(の条文)の廃止を求めて作られたパンフレットから使われ始めた。Box Tutle bulletinホームページよ


4、Michel Foucaultはこの1869年の出来事から、初めて「同性愛」というカテゴリーが生まれたとした。







2)歴史(古代−近代)
« ヨーロッパ »
 「ホモセクシュアリティ」すなわち「同性愛者」という語は、1869年にハンガリーの学者3によって造られた4。確かに言葉の起源(フーコーによればカテゴリーの起源)は、19世紀後半ではあるが、「同性間」の愛情表現あるいは性行為は人類の歴史と同じくらい古い。例えば、古代ギリシアでは神話上の神々が同性愛を楽しみ、あるいは「同性間」での「ねたみ」により人をも殺している。当時の人々は、神々を人間のイメージとして描き出し、その神々の行動を人間の欲望や欲情の鏡として認識していた(Aldrich [2006 ; p.29])。つまりは人間そのものが「同性間」における「愛」を望むことがあったということである。またHuppertsは古代アテネにおいては、男性が女性を愛する様に男性(特に少年)を愛す者とみなされており、それらは「エロス」の二つの形でしかなかった(Aldrich [2006 ; p.33])という。



 
 さて、古代から「同性愛」の起源はあったが、中世においてその認識は変化する。「生殖活動」としてか、「そうでない」かの違いでしかなかった「同性愛」が、13世紀には宗教裁判所により処罰の対象とされていた。その背景は、旧約聖書・新約聖書の普及(特に新約聖書)が大きな貢献をしていると言えるだろう。つまり、旧約聖書において「同性愛」について書かれている最もポピュラーな箇所として『創世記』のソドムとゴモラの逸話が、キリスト教の普及と重なって「禁止されたもの」という強い認識・影響を及ぼしたとされている5。
 さらには6世紀から10世紀においては「悔悛総則書」というもので、具体的な罪が司教に示されていた。後に『グラティアヌス教令集』を経て教会法へと変化して行く。
 このように「同性愛」は当時の宗教観とその普及の被害者となって行った。
 
 しかし、宗教的・哲学的な出発に始まった「同性愛嫌悪(Homophobie)」は自然科学の発達による対象への科学的なアプローチと、18世紀以降の病理モデルの発展がそれまでの嫌悪感とは異なる性格を生み出した。つまり「同性愛」とは「病気」となったのだ6。

« 日本 »
 日本はあらゆる面で中国7の影響を受けている。「同性愛」においても、中国文化の伝来8が日本に「同性愛」の正当性をもたらした(とされている)。によれば僧侶達は女性との肉体的接触は禁じられていたが、寺の中で奉仕する若い「稚児」とは肉体的関係を持っていたという。さらに、その「稚児」が美しければ菩薩の化身とさえされ、それとの交わりは崇高なものへとなった。
 このような男色は、「禅」の精神にも繋がって行った。この男集団の固い絆と厳しい規律を重んじる「禅」の精神が仏教とつながり、その後の「武士階級」にも受け継がれて行くこととなった。

 しかし鎖国を迎えた日本においては西洋文化の受け入れを余儀なくされ、同時に西洋において「ソドミー」とみなされていた「同性愛」は罪されることとなる9。その後の日本においては、「同性愛」への軽蔑的思想が確立されて行くこととなる。


5、『創世記』において、ソドムとゴモラの逸話19章1−29節の中で描かれている。

6、
ただし、それまでの教会法の様に「同性愛」を犯罪とはみなさず、合法化したのもこの時期において(Robert Aldrich 2006 ;pp.103−123])。

7、
中国においていは『道教』と『儒教』の関係。前者は「陰」と「陽」の交換が専ら「同性間」では「陽」の交換でしか無く、「同性愛」が独立して考えられることは無かった。一方後者は、社会的ヒエラルキーによる女性の社会的排斥が男同士の結びつきを強く容易なものにしていった。Adrianによれば、日本においては『道教』の二つの関係が互いに結びつき発展する性についての考え方が、『儒教』の男性中心的な社会秩序が持ち込まれたことになる。

8、
Adrianによれば、真言宗の開祖、空海によって「同性愛」の正当性は持ち込まれたとされている。ただし逸話でしか無く、さらにはそれ以前の日本にも、やはり「同性愛」は存在していたであろう(Aldrich2006;p.303
])。

9、
1873年『鶏姦罪の規定による肛門性交の禁止』





3)現代の状況
 古代から近代にかけて、「同性間」の関係は宗教上の理由から「罪」とされ、市民革命を経て個人主義的な価値観が「合法」の時代を生むことになった。しかし、その合法化を誰もが歓迎した訳ではなく10、むしろ多くの者に「同性嫌悪」が根ざして行ったことは現代が抱える事実である。
 
事実、2013年2月にフランスでは「同性婚」が認められたが、それに伴う反対デモはフランス全土で展開された。
同様の「同性婚」に対するデモは世界中で起きている。

 そしてそのような「同性愛嫌悪」的対応は、国家権力を利用した違法な処罰にも見て取れる(資料1、2)。

 同時に「同性愛者」の権利拡大に向けて法的な取り組みも見受けられるのが現代の特徴である(資料3、4)。


※では日本はどうか?
 2013年日本で初めての「同性結婚挙式」が東京ディズニーランドで行われた。法律で認められていない関係とはいえ、この当事者の行動は社会的インパクをもたらすとともに、日本における『シビル・ユニオン』の可能性を示したと言えるのではなかろうか。

 


10、アンゼム・フォイエルバッハによれば(1775-1883)「…ソドミー…による婚外性交は道徳の戒律に対する重大な違反だが、罪としては国内法の範疇には無い」としたが、それに対する反論として、「権利侵害ではないが、直接的・間接的にそうした侵害を引き起こす」という者もいた(引用:Isabel V Hull, Sexualty, State, and Civil Society in Germany, 1700-1815 [p. 357](Ithaca, NY 1996))







 






以上、ご清聴ありがとうございました。
<参考文献>

伊藤悟著 2000年『同性愛がわかる本』明石書店
齊藤日出夫 1999年『セクシャル・マイノリティのアイデンティティ・ポリティクスについて』
                       慶応義塾大学大学院社会学研究課:修士論文
タムシン・スパーゴ 2004年『フーコーとクイア理論』岩波書店
新村出編 1991年『広辞苑第4版』岩波書店
ルイ=ジョルジュ・タン編 2013年『同性愛嫌悪<ホモフォビア>を知る辞典』明石書店
ロバート・オールドリッチ編 2009年『同性愛の歴史』東洋書林

<外国書文献>
Boswell John, Christianism, tolérance sociale et homosexualité, Paris, Gallimard, 1985
Eva Cantarella, Bisexuality in the Ancient World, New Heven trans. C.O.Guilleanain 1992
Félix Buffière, Eros adolescent. La prédérastie dans la Grèce antique, Paris, 1980
Isabel V Hull, Sexualty, State, and Civil Society in Germany, 1700-1815 , NY, Ithaca, 1996
Louis Petit de Bachaumont, Mémoires secrets pour servir à l'histoire de la République des lettres de France, London, 1783
Michel Foucault, Les Mots et les choses, Gallimard, 1990


<参考サイト>
Le Monde
http://www.lemonde.fr
BBC
http://www.bbc.com
Box Turtle Bulletin
http://www.boxturtlebulletin.com
ilga
http://ilga.org/ilga/en/index.html


<配布資料>
資料4 http://ilga.org/

プロフィール

HN:
ALL
性別:
非公開
自己紹介:
こんにちは!ディベート・ディスカッションサークル社会知性研究会です。「社会知性の開発」(専修大学HP参照)を目指して、週に一度、7限終了後、討論を行っています。
少しでも興味のある方は、サークル代表までお気軽にメールをどうぞ。
sy8ken@gmail.com

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